Skoleと日常のクロッシング その5(0708)

雨が世間を騒がせた7月の土曜日にSkoleのmethod 4「ひらく」が開催されました。

本日の講師は定行俊彰(さだゆき・としあき)先生です。定行さん(ご本人からのご希望で先生ではなく定行さんと表記します)とはSkoleの第1期の時に初めてお会いしました。 第1期では「気づく」をテーマに《ゲシュタルト》に関してもご紹介いただき、様子を見に来られた池見先生と急遽コラボセッションをしていただくなど、予想外な展開が起きたことが印象的でした。

 

さて本日も、岡村心平さんの前回の振り返りから始まりました。

 

前回の藤本先生では、「身体の反応にどう待てるか?」という点がキーワードであり、自分の体にどう関わっていくかという構えを学んだと語りました。

 

本日の内容は以下の通りでした。

・竹内敏晴先生との出会い、そこで学んだこと

・定行さんの「出会う」の考え方:「会う」と「出会う」の違い

・ワーク①:人と「出会う」ことに体がどう反応するか確かめる

・ワーク②:私にとっての本当の人との距離感を知る

・ワーク③:相互交流の中で形成される「安心、安全な」距離感

・ワーク④:相手に触れる

 

・竹内敏晴先生との出会い、そこで学んだこと

定行さんの今の活動に大きく影響を与えているのは演出家として活躍された竹内敏晴先生です。

竹内先生が宮城教育大学で専任講師として5年間所属していたうちの4年間を、定行さんは学生として共に過ごされました。竹内先生ご自身はずっと変化し続けている存在であり、今回定行さんが語る竹内先生の言葉は先生が58-63歳頃に語られている言葉が中心になっているとお話しされました。竹内先生との出会いは、定行さんが小学校の教員として感覚の豊かな教員を養成することを大切にしていた大学で、「表現」に関わる必須の授業で演劇の科目を選択したことから始まりました。

竹内先生は授業の中で「自分が何を感じているのかを知れ」ということをよく話されていたそうで、「人に触れる」というワークを通してそのことを教えてくださったそうです。竹内先生はこのワークで「人に触れることは、人と人が出会っていることである」ということを何度も伝えていたそうです。しかし、単に人に触れるといっても、簡単なことではありません。言葉で表現するのは簡単ですが、人に触れることと物に触れることは違います。

このことをなかなか理解することができずに、定行さんはこのワークを繰り返し受け、本当の意味で理解すること(つまり触れることで人と出会うということ)が腑に落ちることに一年ほどかかったと話されました。

 

・定行さんの「出会う」の考え方:「会う」と「出会う」の違い

今回のmethod4では、定行さんが学ばれた、竹内先生の「人に触れることで人に出会う」という視点から、人と「出会う」ことをキーワードにしていくと話されました。冒頭にまず定行さんは「会う」と「出会う」という二つの言葉はそれぞれ意味が異なると話されました。

 

「会う」…偶然に出会う、ばったり会うことや、挨拶をお互いする、名刺交換をするなど社会的な応対、受身的に会うような印象。

「出会う」…自らという主体をきちんと持ちながらも相手も1人の人間としていて、お互いが外に一歩踏み出た時に成立しようとすること、成り立った時のこと。

 

このようにそれぞれ説明されました。これを学ぶためのワークとして竹内先生はよく「出会いのレッスン」というものをしていたそうです。それはペアになった二人組が距離をとって背中合わせに立ち、合図とともに互いに向きあい言語を使わずに感じるままに動く、というワークです。そのワークでよく竹内先生は

「振り向いた瞬間に何を感じたかということだけで動け」

と指導されたそうです。頭でどうしようかと考えて動くのではなく、今振り向いた瞬間の自分がどう感じるのか、を追求するワークでした。何度もそのワークを体験された定行さんは、その人と関係を持とうと思えば思うほど関係は持てないし、受身で待っていても何も変わらない、ということを学んでいったそうです。頭を使って相手と出会おうと何かを仕掛けにいっても、仕掛ける側と受ける側に主体と客体が生じてしまいます。これは竹内先生が説明された「出会う」とは異なります。つまり出会おうと思って考えて何かをしようとすればするほど人と本来的に出会うことはできなくなるそうです。だからこそ、今この瞬間の自分がどう感じたのかを自分でキャッチをして、その感じたことで動いていくことが大切だそうです。

一方、人と「出会う」ことはなかなか難しい体験ではありますが、人と「出会っている」感覚というのもだんだんと分かってくるそうです。それは、その人と共にいたいという気持ちが、行為、表情や行動に表出され、それに意識が後からついてくる、そんな感覚だそうです。別の言葉で言い換えると、自分と相手は違う人間ではあるが、この二人にしかわからない濃密な空気を経験するそうです。

言葉での説明ではなかなか伝わりきれないところもあるため、早速ワークを体験していきました。

 

・ワーク①:人と「出会う」ことに体がどう反応するか確かめる

今回体験したワークは竹内ワークに定行さんがアレンジを加えたワークです。このワークでは人と出会おうとしすぎないで、人と関わった時に自分の身体がどう反応したかをキャッチすることを大切にしながら進んでいきました。

まずは自分が落ち着く場所はどこだろう?と探していきました。会場の中には1人ではなく他の参加者もいるため、場合によっては人が近づいてきます、ちょっと違うと思ったら移動してもいいし、視野の位置を変えることもできます。そんな中で今の感じや、呼吸を感じます。

次はその地点から会場を歩いてみます。視点の位置がポイントで、まずは人の足元、次は足元から腰の間、次は腰から肩の間、次は口元、次は目をじっと見る。このようにだんだんと視点を上げていくのがポイントです。その都度その都度で自分がどんな感じを抱いたか、呼吸はどうかに注目をしていきました。

面白いことに視点の位置が変わっていくことで自分の表情や歩き方、体の使い方が変化していきました。足元や背中の位置に視点があれば「人」としてその人を意識しないで脇に置いておけますが、口や目に視点の位置が変わると急にドキドキしたり、笑顔になったり、会釈をしてみたりという反応が出てきました。このような反応は社会に生きている時に出る反応で、この状態はまだ人と「会う」状態だと定行さんは説明されました。

今回はその先にある「出会う」という経験をするためにこのワークを入り口として取り上げられました。なぜこのワークを取り上げられたかというと、人と「出会う」ときにはまず、興味を持って人を見るということが大切になるからです。ベビーカーに乗った赤ちゃんを街中で見かけた時にじーっとこちらを見続けられる経験をした人も多いかと思います。定行さんは「赤ちゃんは出会いの天才」と話されていました。それは見るという行為によって自分から一歩出て行く行為をためらわずにすることができるからです。私たちは元々、人と「出会う」ために自ら一歩出ていって人と出会う能力を持っています。しかし、私たちは成長の過程で社会に適応するために社会性を身につけていきます。その過程で人と「会う」ことが日常生活の大半となり、「出会う」ことが少なくなっていってしまっています。このため、人と「出会う」ためにはまず、人と「会う」とき(人を見る時)に自分がどんな反応をしているのかをキャッチすることが大切になるのだと思います。

 

・ワーク②:私にとっての本当の人との距離感を知る

次のワークでは、人との距離感を知るワークを行いました。ペアになり部屋の端と端に立ち、片方の人が目を見ながらゆっくりと近づいていきます。だんだんと近づいてこられる中で自分のテリトリーに入り込まれる感覚になったら言葉を使わずにストップと伝えます。相手と自分との距離感が自分にとって安心、圧力を感じない、緊張も感じない、目の前の人と一緒にいるなという感じをもてるそんな距離感を探りました。距離感は人によって異なるため、自分が人とどのくらいの距離感を保つことで安心するのかに気づくことが目的でした。

例えば「セミナーに参加して、講師からの指示がありペアになった人と今の体験を語る」というような場面があるからこそ、目の前の人とそれなりの近さで話をすることは比較的容易にできると思います。それは社会的な場面において社会性に基づいて人と「会って」いるからです。ワークという非日常の中で、今回確かめた距離感にいることでホッと安心している自分がいることに気付いていることが、人と「出会う」ためのヒントになると定行さんは話されました。

 

 

・ワーク③:相互交流の中で形成される「安心、安全な」距離

だんだんと普段の生活で行っている人と「会う」という感覚がわかってきた中で、次のワークでは人と「出会う」ことを意識したワークを行いました。このワークでは安心・安全・一緒にいる、という立ち方を言葉も笑顔も使わずにどういう位置関係だったらいいのかを確かめることを行いました。ワーク②で体験した、目を合わせても大丈夫な感じ、我慢しなくてもその場に安心感を持って入れる感じを確かめながら位置関係を確かめました。ワークの中では、一方が「ここかな?」と思うところに止まると相手が動き出し、相手が止まるとまた一方が違和感を感じて動き出す、という繰り返しが起こっていました。お互いがしっくりとくる位置を見つけ出すパターンもあれば、絶え間なく距離を確かめるパターンもあり様々な関係の在り方が表現されていました。社会性を持って日常生活を送っていると「まあこれくらいならいいかな」という許容範囲の中で隣に他人がいることを許してしまうことが多々あると思います。しかし、このワークの中ではそのような社会的な許容範囲を取り払って、「今ここにペアの人といる」ということをみてみるとどうなるかを体験しました。

定行さんはこのワークの体験を通して人に触れること、「出会う」についてこのように語っていました。

 

人に触れるという行為は本来すごく丁寧な営みであり、相手は物ではなく生き物であるということを理解しなければなりません。どういうことかというと自分の行為全てが相手に受け入れられる保証はどこにもないということです。自分がどれほどペアの人と関わりを持ちたい、出会いたい、と思ったとしても、それを相手が嫌だと思ったらそれは達成されません。

 

つまり、「出会う」ということは「出会えない」ということが前提にあるということです。人だから人として人と「出会える」ことはありえない。その人と「出会いたい」という気持ちがあっても、出会えない時があり、出会えないということを受け入れないといけないのです。だからこそ人と「出会えた」時にしっくりと感じる時が訪れるし、その時に自分が今ここにいるということを強く感じることができます。出会えなかったということは相手を責めることでもないし、自分が至らないということでもない、ただ出会えなかったということです。

 

人と出会う時に、「相手が嫌がるかもしれない」「拒否したら傷つくかもしれない」という気持ちが出てくるかもしれません、社会的な場面ではそのような視点も必要なことですが、人と人が出会う時に必要なのはシンプルなことです。それは「自分がどうしたいか」ということです。

それを受け入れてもらえるかは別なことだけれども、この点を突き詰めていく中で生の自分を見つけることが出来て、その自分が人と「出会う」のです。

 

人は大人になるにつれて生身の人間として人と出会うことが少なくなっていきますが、出会えなかった時の寂しさや、出会えた時の嬉しさなどを感じられる視点も持ち合わせた大人で居られるのはとても良い在り方だなと感じました。

 

・ワーク④:相手に触れる

人との関わりの中で自分がどう感じるかを確かめるワークをしてきたので、最後はゆったりと過ごすワークを体験しました。 ペアになり相手の肩と丹田にゆっくりと触れ、一緒の時間を過ごすことをしました。

本日のワークを通して触れることは、相手と出会うということということを体験しました。このワークの時に、前回の藤本先生のワークでも相手に触れて一緒の時間を過ごしたことが思い出されました。藤本先生のワークの中では自分自身のリラックスしている状態を共鳴させるという意味合いで相手に触れながら共にいることをしており、同じ「触れる」という動作の中にもこれほど異なる意味合いがあるのだなと感じました。

 

 

 

 

 

 

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日常とSkoleのクロッシング⑥

日常生活の中での「出会い」

Koshikawa, Y.

 

 

今回は「出会う」をキーワードに様々なワークを体験してきました。色々と勉強になった定行さんのコメントの中で、「人が出会うということは出会えないことが前提としてある」という言葉が一際耳に残りました。このことを日常の生活の中ではどうなるのだろうかと思いを馳せてみました。今回のワークのような「自分がどうしたいか」を突き詰めて、それに基づいてアクションを起こす、ということは日常の中ではなかなか難しいと思います。そういう意味で日常生活の中で今回のワークのような「出会い」をそのまま再現することは難しいのかもしれません。しかし、人と「会う」ことと「出会う」ことの違いを日頃の人間関係の中で見てみるとちょっとだけ面白い考察ができそうです。

人は社会的な営みのために様々な人と「会う」ことを繰り返しています。取引先、上司、後輩、同僚、趣味の仲間、などなど。人との人間関係の構築には様々な仕方があると思います。例えば仕事で取引先の相手に気に入られるために、あるいは上司に認めてもらうために、精一杯関係を構築しようと努力するとします。仕事上の付き合いであったらここまででもいいのかもしれません。しかし、仕事の役割以上に、その人個人に、人として気に入ってもらいたいと思って努力をしたとしても、それが必ずしもそれが相手に響くとは限らず、相手としても自分の方に一歩踏み出すとは限らないないのではないかと思いました。相性という言葉で片付けられてしまうかもしれませんが、今目の前に相対している人との関係を「会う」「出会う」のフィルターを通して見た時に自分はこの人との関係に社会的な立場や年齢、性別に関わらず人として「出会えた」ことはあるのだろうかと振り返ってみるのも面白いなと感じました。今の例えは仕事上の話でしたが、それだけに限らず、何かの人間関係の中で、同性異性に限らず、自分が仲良くなりたいなと思って、仲良くする努力をしたとしても、社会的な交流に止まってしまい、必ずしも真にその人と交流することはできないのではないかなと思いました。そういう意味で日常生活の中でも出会えないと寂しさを感じることもあれば出会えた喜びを感じることもあるのだと思います。

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次回は藤田一照先生で「くつろぐ」です。次回も楽しみです。

 

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